セブ島で一緒に遊んだアメリカン ②危険への対処

セブ島で一緒に遊んだアメリカン ②危険への対処

正直、マンゴーなどは私にとっては危ない場所ではないが、それでも多くの人が騙されたりしているのも見たので、「マンゴーは危ない地域」と言うようにしている。結局、どれぐらいその人が警戒しているかがポイントで、「危ない」は一般化できないし、ネットでは最悪を想定した視点で情報は流れる方が良いと考えている。無警戒の日本人がたくさんいるのも見てきたからだ。友人の中には、マンゴーでさえ、被害を受けている人がいた。

 

しかしアメリカ人の友人と遊んでいた時、完全なローカルのクラブに遊びに行っていた。危ない雰囲気でいうと、マンゴーの比ではない。肌感覚で言うと、10倍ぐらいの警戒が必要だった。クラブの位置もすでに危ない場所。外人は我々3人だけ。私、私の日本人の友人、そしてアメリカ人の彼。

 

その時、その店で働いていたのは、彼がアメリカで仲良くなったフィリピン人の友人の親戚。そしてアメリカン人の彼は必ずその親戚に遊びに来たことを伝え、チップを渡し、安全を確保するように頼んでいた。なので、私たちの周りには、いつもスタッフが1人ついていてくれた。また彼は必ずDJにも挨拶する。

 

「こうやって安全を確保して遊ぶのだな。」そういうことを見ながら学んだ。彼は本国、アメリカでDJをやっていて、フィリピンでは英語講師をたまにして、生活費を稼いでいた。遊び方を知っていた。

 

中の雰囲気は、ザ・アジア。甘ったるい温めの空気が流れ、その中で皆が踊る。汗の匂いが充満している狭い部屋で、ビールタワーが各所にできている。200人ほどのフィリピン人が思い思いに楽しんでいる。危険なローカルの空気が流れ、トイレはもはや、ただの用水路みたいな場所。そこにいた全員が我々を見るような状況。母親と来ている女の子もいて、その親が自分の娘とわたしたちが飲むようにしむけることさえあった。その場所の外では当然のようにドラッグやバイアグラも売られていた。

 

こういうことを通じて、フィリピンを学んでいった。

 

なので、その場所は、アメリカ人の彼がいなくなってからは行っていないし、仲良くしていた日本人のその友人がいなくなってからも行っていない。二人のおかげで、「まだ」安全だと思えていたからだ。「片方とだけでは無理だ。」日本人の友人ともそう話し、実際アメリカ人の彼も、「ヨシたちがいないとそこには行っていない」と話していた。大概は大丈夫だとしても、100%の安全ではなくなる。安全は100%でなければならない。

 

そうやって、何が危なくて、どういうことがダメで、と自分自身の感覚を研ぎ澄ましていった。その結果、フィリピンでは完全な安全はないので、とにかく金目のものは何も持たないという結論にいたっている。決して又聞きで情報を出しているわけではない。参考までに再度以下のブログをあげておきます(ブログ「ジプニーに乗る際の注意点 ①前編 対策1」http://yoshi-jpn.com/1314/)。

 

バイアグラをフィリピン人の男性が売ってきたとき、日本人の友人と私は「いや全然必要ない」と断ったが、アメリカ人の彼は30代後半だったこともあり、1つ購入していた(笑) 大量に売りつけてきていたが、バイアグラってそんなに大量に持つものではないですよね、きっと(笑)

 

当時は好奇心が強く、ガンガンいろんなところに行っていた。今思えば危ないことをしていたと思う。私は好奇心がどうしても止められないタイプなので、記者になったわけで、テレビで戦争のニュースなどを見ながら、「あそこで起こっている現実を生で見たい」と言うたびに、母が「(記者を)辞めてよかった」と言っている(笑)

 

今はもう飽きてしまっているので、安全の事も考え、のんびり過ごしている。皆さんもくれぐれも気を付けてください。1回出くわしたら、死ぬ可能性のある国です。

 

セブ島で一緒に遊んだアメリカン ① 宿泊寮に投げられた http://yoshi-jpn.com/1861/
セブ島で一緒に遊んだアメリカン ③ クラブ女子は喋れない http://yoshi-jpn.com/1868/
セブ島で一緒に遊んだアメリカン ④「この国は金」http://yoshi-jpn.com/1870/

 

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