教師と親の子供への影響は非常に大きい。
日本の片田舎で育った私にとって、「大人」といえば、教師と親だった。
フィリピンの公立学校の教師が凄い。。。というのは、別のブログでご紹介した(ブログ「フィリピンの公立学校の教師」http://yoshi-jpn.com/2146/)。
かつて日本も変な教師はいた。でも親がきちんとしていれば、「あの先生は変だ」で終わる。そしてかつての日本は地域社会。先生が変で、親が変でも、地域の人達が関わる機会があった。
ただし、フィリピンの場合。
公立学校の教師は見本とは程遠い可能性がある。親や地域の人は、きちんとしてない可能性がある。そしてお金で区切られた社会は、全く違う世界の人と会うことを妨げている。
だからフィリピンの裕福な家庭の人々は、きちんとした学校にお金をかけて、子供を通わせる。そしてそういう意識のある人は、この国ではきちんとしている人が多い。これが、「身分制度」といえるほどの絶対的な差をつくる。連鎖だ。
だから親が何をしている人か、兄弟は何をしている人か聞けば、ある程度、その人の家庭の豊かさがわかる。そしてこれを聞くことはこの国では重要だ。
日本で、学校の先生がもはや先生と呼ぶにふさわしくない存在になる日が来ると、
また
親がとんでもなくおバカになる日が来ると、
フィリピンのような国になる可能性がある。
フィリピンの自由な雰囲気は素晴らしい。でもその代償に、すべての人に等しく提供されるべき機会が奪われているのも事実。だから豊かな生活をしている人にとっては最高の国。順位が入れ替わることがないのだ。
親、教師、そして社会。すべてが欠けると、逆転の芽が消える。すべての子に「きちんとした大人」と接する機会が保たれることが重要なのだと感じる。子供にとって、小さなときに接する「大人」の影響はとても大きい。
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