労働力としての価値

労働力としての価値

フィリピンで働いている方は知っていると思うが、フィリピン人は、日本人と比べると、あまり仕事中心の生活ではない。でもそうした彼らの中に、若くして、とても優秀な人達に出会う。

 

そうした時に感じるのが、自分の労働市場における価値というやつだ。

 

彼らの給料はもちろん上がっていくが、若い人たちの給料は総じて、この国では高くない。日本円にしたら、良くて3-4万円ほどのものだ。

 

そうした時に感じるのが、自分は彼らの何倍もの収入を得るのに十分な仕事をしているのかということだ。そう、私たちは、日本という”国=システム”の恩恵を受けている。

 

日本にいると、転職でもしないかぎり、自分の労働市場での価値など意識しない。言われた仕事をこなせば、決まったお給料が入ってくる。そして周りとの給料差があっても、それほど気にならないし、年齢の問題だと考えがちだ。

 

でもフィリピンは明らかにそうではない。年齢など一切問題にならない。できるかできないかで給料が変わる。

 

フィリピンはアメリカのような社会に近い。転職が当たり前で、転職のたびに、給料の壁を越えていく。まさに「金持ち父さん 貧乏父さん」の論理だ。自分を高く売り込む必要がある。そうした場所では、労働市場における自分の価値というのを、否が応でも感じる。

 

日本は終身雇用的な形で、これをうやむやにしてきた。でも仕事を辞め、新たな一歩を踏み出す時、「何をしてきて(実績)、何ができるのか(現在の価値)」は常に問われる。

 

日本は安い賃金で使われている若年層が増えている。自分の価値を作り出さない限り、そこから状況が良くなることはない。誰かが自分を守ってくれる時代は終わったのだ。そして若い人は、そのことに気付いた方がいいと思う。それは決して、海外で就職しようという話ではなく、自分の価値をなるべく高め、優位なポジションで仕事をすべきだということだ。

 

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