もちろんあの日の事は覚えている。僕はシドニーにいた。日本で大きな地震があったそうだと午後4時ぐらいに一報を聞いたように思う。でもそんな事は、日本では日常的な事なので気にも留めなかった。
そして現地で知り会った日本人の人に誘われ、普段は参加しない日本人の集まりにたまたま参加していた。場所はバー。しかし30分経った頃だろうか。何人かが「やばい、やばい」と言いながら、その場にあったテレビに映ったニュースを見ていた。場所は日本。マグニチュードが8.8だと報道されていたと思う。
これはヤバい。
とにかく家族の安否が気になった。バーから飛び出し、すぐさま母に電話した。つながらない。急いで記者の同期に電話した。電話がつながった。まず地震の大きさと場所を確認したかった。彼が「場所は東北だけど、情報があまり入んないんだ」ということを知らせてくれた。被害がかなり出ている。そう思った。
その後かけた電話でようやく母につながった。家族全員無事なことはわかった。少し安堵した。こうした経験があるので、地震など何か大きな大災害に巻き込まれた時、とにかく生きてることがわかるよう、一刻も早く家族に連絡するようにしている。
当日は一晩中、ネットで津波の情報を追った。そして町や、さらには人までもが流される最初の映像を見たときに、どこかそれがリアルに感じられない自分もいた。9.11の時もそうだった。映画のように、フィクションなものにしか見えなかった。あまりにも凄い状況が起こっていて。
【東日本大震災】津波から逃げる人たちが飲みこまれる
https://www.youtube.com/watch?v=3qjPrs54aFw
そして翌日には福島原発で爆発事故が起こった。語学学校のクラスメイト皆に心配された、特に原発に関して。「日本は大丈夫なのか?ヨシの家族は?」私「僕の家族は大丈夫だけど、、、」
後日福島原発問題の処理の任務を果たされた東京消防庁の佐藤さんの話を見た。石原前東京都知事のニュース映像も合わせてのせておくことにしたい。
Yasuo SATO [ 佐藤 康雄 ] – TEDxSeeds 2011
http://www.youtube.com/watch?v=DImGwfOrvd8
石原慎太郎男泣き 放水作業の東京消防庁隊員 都知事に報告
http://www.youtube.com/watch?v=AzCeL4YGCy0
昨年8月に日本に帰ったころだったと思う。気象庁が地震速報の誤報を出した際に、各社マスコミが一斉に批判した。これを見てその時の私は「そんな対応は異常だ」と思った。
でも後になり、私はあの震災の日に日本にいた人々と絶対に共有できない「記憶の断絶」があるのだと感じるようになった。当日そしてその翌日。映像を見ながら、どんなに自分の中の何かが変になりそうな感覚を持っていたとしても、そう、私は東日本大震災を知らないのだと。そんなふうに思うように変わった。
帰国しているとき、たまたまふとつけたNHKで、一人の高齢の女性が淡々と当日の状況を話していた。最初は津波の話をしている被害者だとは気付かないほど淡々と、まるでナレーターのように。
その方は当時を次のように語っていて、私の脳裏から離れない記憶になっている。津波が来るといわれていたが気にしなかったこと、その歩いていた海岸に自分の夫と夫の兄の3人でいたこと、その女性は木にしがみついて助かったこと、いつも「お前」としか呼ばなかった夫が流される最中その女性の名前を叫んでいたこと、夫と夫の兄は亡くなったこと、ようやく仕事を退職した夫にこれからゆっくり過ごせるねと話していたこと、そしてどうしてあの時逃げようと言えなかったのかという後悔。
記者として働いていたとき、チリ沖地震が起き、担当地域全域が警戒地域になった。当日は本来休日で、朝4時頃まで飲んでいたが、朝けたたましいサイレンでたたき起こされ、すぐさま出勤した。一番危ない地域にいき、一日中避難状況などを確認していた。その時に小高い避難所にいるあるお婆さんが言った。「うちのじいさん、避難してくれんのよ」。結果何もなかったから良いものの、逃げない人は逃げた人がどれだけ心配しているか知るべきだと思う。
今日であの日から3年経つ。
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