日本の「宗教的なもの」

日本の「宗教的なもの」

日本人は宗教意識があまりないと、海外の人だけでなく、日本人でも考えている人が多いように思うのですが、ほんとにそうなんでしょうか。

 

海外に出たら、外国人から聞かれる質問の1つに「宗教は何?」というものがあります。そのため日本人は海外に出ると、必ず宗教というものを意識するように思います。

 

フィリピンの場合は、カソリックを信仰する人が多くを占め、多くの人々が毎週末教会に通っています。そして私たちから見ても、良いか悪いかは別にして、信仰しているのだと、外からわかりやすいです(写真)。ただ私の視点からでは、都合が良いときに、宗教が出てくるな、宗教を使っているな、という印象も完全にはぬぐえません。

 

一方、日本人。仏教の人が多いと思うのですが、外から見る分には、特に強く信仰しているというわけではない気がします。私たち自身も、自分たちが強く宗教を信じているとは思っていないように思います。

 

ただ先日、セブ島の田舎でバスに乗っていたとき、教会から、爆音でクラブミュージックが流れてきました(笑) その時、強く感じたのは、少なくとも私の中に「宗教的なもの」は間違いなく存在しているのだということです。

 

フィリピンでは結構普通に教会からクラブミュージックが流れていて、人々も特に違和感を感じていないような気がします。しかし私たちはどうでしょうか。神社やお寺からクラブミュージック。。。たぶん多くの人がこう思うはずです、「罰が当たる」と。「本当に神聖な何かを信仰しているのだろうか」と。

 

先日セブに来てくれた友人と喋っていたときに、その話題になりました。彼女は東南アジアで過去に長期バックパッカーをしたこともあるし、ここ2,3年はヨーロッパに住んでいました。

 

彼女の話を聞きながら、日本の宗教は土着のものだなと改めて納得したものです。例えば、キリスト教やイスラム教などの場合、絶対的な神がおり、どこにいても信仰可能なものです。

 

でも果たして日本人が持つ宗教意識はそういうものでしょうか。例えば、フィリピンに神社、お寺ができて、そこに行くのだろうかと。そこを日本にあるものと同じだと考えられるだろうかと。私の場合、答えはNoだと思いました。日本という地と、日本人の宗教観は、切っても切れないものではないかと強く感じたのです。

 

現在グローバル化ということが言われ、日本も少なくとも、変化を強いられるでしょう。ただこの土着の宗教観は、日本語とともに、日本人の大事な「何か」を形作っている気がするし、それが変わるとき、日本はそれまでと全く異質な国になるような気もしました。

 

英会話スクールを準備している者として、日本という国が好きな者として、そして教育に関わる者として、深く考える必要がある問題だと感じました。

 

ランキングのご協力に、ぜひクリックをお願いいたします_(._.)_

 

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 英語ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 英語ブログ オンライン英会話スクール・教室へ
にほんブログ村