戦後70年、今もまだ残り続けるフィリピンの「無国籍邦人」という存在が問うこと

戦後70年、今もまだ残り続けるフィリピンの「無国籍邦人」という存在が問うこと

この度の天皇陛下の訪問の中、フィリピンで見捨てられてきた「無国籍邦人」について書かれた話を読みました。

「陛下の前で涙を流した彼らは何者か ~放置され続けたフィリピン「無国籍邦人」という問題」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47673

私は全然こうした事実を知らず、恥ずかしいばかりです。タイトルを見た時も、あくまで戦争で日本からフィリピンに入った日本人の方が、置き去りにされた話かなと思いました。非常に考えさせられる内容でした。

基本的に、記事の内容では、「フィリピン残留日本人」とされており、その定義は、「戦争時にフィリピンに来た日本人の他に、戦前からフィリピンに移民していた日本人と、現地フィリピンの女性の間に生まれた2世のこと」をこう呼んでいるとのこと。そして彼らは「無国籍」だというのです。

フィリピンは元々日本人の移民の最大国であり、バギオやミンダナオの開発のために、1930年代には2万4000人もの日本人がフィリピンにいたそうです。ところが第二次世界大戦があり、そうした移民の方は、日本の「先方」を担う役割を果たし、そのため現地の人の憎悪の対象になったとのこと。

そして日本の敗戦が決まり、這う這うの体で日本に逃げ帰る一方、その現地の妻や子供たちは置き去りにされたそうです。その時に残された彼らがとった手段が、生きるために日本国籍を捨てること。そしてその問題は現在まで置き去りにされてきているそうです。そして彼らに光がさすのは、かのマルコス政権が親日政策をとることになってからだったとのお話です。

全く知らない自分が恥ずかしくなるような現実の残酷さを突きつける話。その中で自分が引っかかった点はこれら。

・第二次世界大戦の前から、フィリピンにはたくさんの日本の移民の方がいたこと

・戦後に置き去りにされた現地妻と子供の問題(現在の日本人と韓国人による子供の問題)

・今も日本人は「ハポン」と呼ばれますが、かつてそこには侮蔑の意識があったこと

・かのマルコスが親日の政策をとったのだということ

凄く考えさせられる内容です。

実際にフィリピンの知り合いの中にはおじいちゃんが日本人の人もいたりします。そしてフィリピン人は韓国人などとは違い、あまり歴史のことで日本のことを責めたりしません。そうしたことが思い出されます。

でもその歴史は残酷な現実を「確かに」持ち、そこには、権力によって引かれた「境界」の外に置かれ、存在を否定され、命を翻弄された人々がいたということ。同じ日本人なのに、、、いや、「日本人」だから救われるべきなのか。そうしたら、難民の話はどう捉えるべきか。日本人だから救い、その「境界」の外はどうでもいいのか。

学生時代、「『政治権力』だけに留まらず、どこにでも『権力』は存在する」というポストモダンの思想のテーゼを乗り越えるためには、権力による排除性を知りつつも、その権力を再構築し続け、より良い社会を目指し続ける以外に道はないと思ったものですが、まさに現実の世界はそうした問題で溢れているということです。そしてそれは以前、ミャンマーで活躍されている吉岡秀人さんの記事を読んだときに書いた親鸞の話のように(「ある日本人医師のお話【番外】親鸞」http://yoshi-jpn.com/1283/)、「どんな場であっても、現場で活動を続けている人、現場で真摯に闘う人」によって前進させられうるものだと信じています。

 

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