フィリピンで考える「児童労働禁止」 ①

フィリピンで考える「児童労働禁止」 ①

「すべての子供は等しく教育を受けるべきだ」

 

この言葉に対して、私は何の異論もない。そうあって然るべきだ。

 

ただ「だからこそ児童労働は禁止されるべきだ」は何かひっかかる。ならば、1つ質問したい。「じゃあ、どうやって貧しい家庭の子供たちは教育を受ける状況をつくるの?」

 

フィリピンという国に住んでいる。公教育は無料。子供は18歳以上でなければ働けない。国が掲げる理想は、極めて「綺麗」だ。フィリピンらしい。

 

フィリピンでは子供は18歳以上にならないと働けない。自分の家がサリサリストア(路肩の店)を営んでおり、それを手伝う分には、特に政府も口出しをしない。ただし、基本的にはこれに限る。しかし現実はどうだろう。多くの人が知っているように、この国では子供は家の手伝いをさせられ働く労働力だ。ただそれは彼ら自身の収入にはつながらない。生活費に消えるだけだ。体裁上、子供は稼げないからだ。

 

昨年、フィリピンは教育制度が変わり、国際的標準の小学6,中学3,高校3,大学4年を取り入れた。今後はそうした体制に合わせ、社会が変わっていくのだろうと思う。

 

それ以前は、小学6、中高4、大学4だった。16歳で高校を卒業する。しかし家庭によっては、お金の問題で、ストレートに学校に通わせることができない。ここで多いのが、親が長子の学費を工面し、まず大学に行かせる。そして彼・彼女が卒業し、彼らが弟・妹の学費のめんどうをみるという形だ。だから兄・姉が卒業し、学費を準備できるまで、下の子たちは「待つ」ケースも多い。

 

私はフィリピンの高校生と話す機会を持ち、彼からそれを聞いた。彼はまさに「待っている子」だった。そして18歳の彼に昼間何をしているか聞くと、家でぼーっとしているとのこと。こうやって、フィリピンという国は、貧しい人々の「選択を刈り取り」、貧しい人は決してその現状から抜け出せず、階級といえるような格差の固定が図られている。その状況からだらだらした人材も生み出される。そう、環境が人を作る。可能性がないのに、人は頑張れない。自立もできない。当たり前だと思う。

 

以前、クラスメイトのアメリカ人も同じことをフィリピン人に質問していた。「16-18歳、もし大学に行かなかったら、何をしてんだ?」当然思う疑問だ。

 

学校制度の変更が状況の好転につながることを望んでいる。

 

そしていわゆる「苦学生」は、フィリピンでは制度化されている。大学の学費がタダになる代わりに、大学の学内で働く。こうした形態を苦学生と呼ぶ。ただ彼らは単位が限られており、4年以上大学に通う必要がある。もちろん大学と親の許可が必要だ。さらに事実上18歳を過ぎればアルバイトは可能だが、親の権限が強いフィリピンでは、親の許可がないとほぼできないのと同じだ。親の一存で、子供の運命が決まるのが、フィリピンの現状。

 

そして日本と比べると海外の多くの国は学歴社会だ。フィリピンもそうで、大学を卒業しないと、一定以上の職は「絶対に」就けない。ここがポイント。「絶対に」だ。日本は素晴らしい国だと思う。学歴が絶対的な壁にはならず、這い上がれる点だ。ただ日本も少しずつ変わっていっているように感じている。

 

またフィリピンも、今後は変わっていくのかもしれないが、少なくとも現状では「階級」が固定されている。

 

続きは次回にしたいと思います。

 

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