「1年前の自分」と自分

「1年前の自分」と自分

現在、フィリピンのセブ島で、オンライン英会話スクールを経営している。でもいつも「1年前の自分」が想像していなかった場所に立っている。11年前までを、簡単に描写してみる。

 

1年前

オンライン英会話スクールをつくる道を探していたが、半分諦め、別の国で仕事を探そうと思っていた。

2年前

フィリピンの語学学校CNE1でインターンをしていて、半年後にカナダのカレッジに行こうと思っていた。

3年前

オーストラリアで、有給インターンにてホテルで働きはじめる。当時、所持金は5000円ほど。フィリピン留学のためにお金を貯めていた。この頃から、アジアで学校をつくりたいと思っていた。

4年前

新聞記者を3月いっぱいで辞め、札幌で保育園の準備をはじめる。6月にタイ・インドに初の海外旅行。英語が全く喋れずショック。と同時に、アジアの可能性を感じる。保育園の話をとめる。その後、地元徳島で母のNPOをお手伝いさせていただき、野外ジャズコンサートを開催。

5年前

念願の外勤記者に胸躍る。北海道の南の方へ。

6年前

2年待った外勤記者への配置異動。北海道の最北端への異動予定も、まさかのお別れ会フットサルで、アキレス腱・靭帯断裂。話はお流れに。号泣。

7年前

編集部署で、初の後輩が入ってくるも、その後輩の前でも変わらず怒られる毎日。ただこの辺りで、社内の編集賞を受賞しはじめる。

8年前

それまで研究職一筋だったが、2月7日に就活を決め、2月10日に前職の説明を聞き、そこに入ろうと決めて就活をはじめ、5月19日に内定の電話をいただき、「7月から」と告げられ、大学院を中退することに。入社式で代表挨拶。

9年前

大学院の修士課程。バイトを3つ掛け持ちしながら生活費を稼ぎ、研究室の床に段ボールをしき、寝る。毎日研究のためのレジュメ作成に追われる。将来が何も見えなかった。

10年前

大学4年で、前期で単位を取りきれたことで、はじめて“お金の呪縛”から解放され、実家に荷物を送り、北海道で宿のヘルパーを2か月する。卒論が超大変で、ニキビまみれに。

11年前

超がつくほどの貧乏勤労学生(大学院も含め、5年間、旅行を除き、毎日休みなしの1~4時間睡眠)。

 

私は中二病のような漠然とした理想がある。ひたすら勉強していた学生時代。具体的な「正しい政治」みたいなものは、すべて破壊されることに気づいた。ひたすら具体的状況に現れるベターな答え。それを求める必要があるのだと。そうした中で残った残骸。でも消えることのない抽象度の高いもの。

 

簡単にいうと、どこで生まれようが、何人であろうが、性別がどうであろうが、体に障害があろうが、貧乏な家庭で生まれようが、誰でも、一生懸命やっている限り、1回は人生を好転させられるような機会に恵まれる社会。「結果の平等」ではなくて「機会の平等」がいいなと。で、別に「貧乏な人」「ストリートチルドレンやホームレス」という括りに興味はなく、「頑張っている人」に興味あり。ホームレスなどの支援をたくさんボランティアでやってきて、行きついた結論です。とにかく子供は無実。

 

20歳の頃から、思い描いていたものは意外と変わっていない。今も、学生当時思い描いていたものを地道にやっていきたいなと思っている。ずっとそれを追っている気がします。

 

結果として、自分の人生は、「毎年、1年前の自分が想像できない場所に自分は立っていて。でもその場所が、自分が思っていたところより、ずっと良い所なんです」という感じです。

 

ということで、大変ですが、今の地点は、今の所の最高地点です。まだまだ先は何も見えません(笑) 明日野垂れ死んでいるかもしれませんが、何の悔いもなく、”今”を生きています。

 

少し自分の記録のために書きました。たぶん明日地球が滅ぶらしいと聞いても、今日と同じことを淡々としたいと思います。

 

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