フィリピン人は貧しい?

フィリピン人は貧しい?

「フィリピン人は貧しい」「恵まれないフィリピンの子供に支援を」

 

こういう言葉に出くわすたびに、どういった背景の人が言っているのかなとチェックしてしまう。別に善悪の問題ではない。たぶん個人的興味で、発言の文脈を知りたくなるのだ。

 

ちなみにフィリピン人自身は、フィリピン人が貧しいなんて思っていないと思う。もちろんお金に困っている人は多いが、彼らは自分たちが貧しいなんて思っていない。忙しく、せかせかしている日本人の方が、よっぽど「貧しく」思っているかもしれない。実際、ヨーロッパの人に、「フィリピンて貧しくて大変だよね」と言われ、フィリピン人がムッとしてるのを見たことがある。

 

「恵まれない日本の子供に支援を」と考えてみてはどうだろ。あなたは日本にも貧しい人たちがたくさんいることを知っていますか。

 

以前、芦田愛菜さん主演のドラマ「明日、ママがいない」が一部で波紋を呼んだ。

 

「養護施設の子供や職員への誤解偏見を与える。人権侵害だ」そうだ。「偏見が悪い」と人は言う。でも偏見って避けられるものだろうか。それを「選択」したと思い、それを「意識」するしかないのではないか。いつも言うが、過去は変えられない。だからそれぞれの人が、自分の倫理観をきちんと持ち、過去に責任を持てる「今」を生きることが大事なのだ。

 

また「日本人で貧乏な人などいない」と、一定以上の年齢の人は考えるかもしれない。でも私は、私の世代以降の人の中には、一定割合で、社会の「溝」に落ち込んだ人がいると思っている。私が落ち込んでいたからだ。

 

あえて「●●人の支援」と言う必要はないと、日本でのホームレス支援やフィリピンでのストリートチルドレンだった子たちの支援など、いろんな所でボランティアをした経験から私自身は思う。そうした経験から、そういうことをあえて言う人はどこかポーズだと思ってしまうのだ。実際に、なまけた人を目の前にして、厳しいことを言えない人に、その状況を変える手助けなどできない。貧しいには必ず理由がある。

 

私は何人でもいい。必死で人生を変えたいともがいている人に寄り添いたい。斜に構えられる間は、その人は必死ではないのだ。私は文字通り必死だった。「忙しいから」などが言える間は必死ではない。

 

だから自分は「過去の自分が必要だった存在」になりたい。そこに国籍は関係ない。いたってシンプルな願望だと思う。

 

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