以前、フィリピンの結婚式に参加したことがある。場所は、セブ島のリゾートの1つであるモアルボアルの教会。
フィリピンは、いわゆる公と私の境界線がゆるゆるだ。この事は、日本人がフィリピン社会で生きる際に知るべき重要な事の一つになる。日本人にとっては「知り合い」にすぎないレベルでも、付き合い方を間違えると、お金の催促を受ける。「お金がなくて困っている。友達でしょ?」日本人がよく出くわすシチュエーションだと思う。付き合い方を間違えないようにしたい。
結婚式は、以前日本語教師のボランティアをしていた時に誘われた。新婦新郎ともに知り合いではない(笑) しかも旦那さんは日本人の方だった。最後まで、「ほんとに参加していいの?」何度も聞いた。想像してほしい。全く知らない人が、あなたの結婚式にいる画を。うーん、ないな。。。
当日私たちは遅れていった(笑) 連れて行ってくれたフィリピン人に、何回も時間を確認したが、時間の見積もりが適当。知り合いでない上に、遅れて参上。。。日本人の私にはありえな過ぎて、フィリピンの適当さを思い知った。やはりほんとにその国を知るには、教室はあまりにも狭すぎる。。。
誰でも参加といえば、セブ島最大のイベント、シヌログ。当日には、フィリピンの家庭は、たくさんの食事を用意する。そして皆どの家に勝手に入ってもいいらしい。知らない人にも食事を振る舞う。だから家族を持つフィリピン人の女性講師が「どれぐらいご飯をつくればいいか、いつも悩む」と言っていた。中国や韓国同様、食事が足りないのは恥だそうだ。確かに大変。。。てか、知らない人がご飯を食べにくるって。。。
またローカルエリアに住んでいたころ。家への帰り道、これまたボランティアをしていたストリートチルドレンを更生する施設の人たちが車に乗っているのを発見。彼らは葬式に向かっていたそうでこう言われた。「ヨシも葬式に参加しなよ」。僕はその亡くなった人も、その人の家族も全く知らない、、、が、参加した(笑) で、食べ物をいただいた。行きたくもないのに断れない(笑) フィリピン、恐るべし。
こうした公と私の境がないのを、あたたかいと感じるか、自由がないと感じるかは個人による。ただ良い側面のみを享受することはできないので、フィリピンの日本人留学生がいう「フィリピンの家族は支え合っていて良い」というのは、違うと思っている。もし日本人が皆そう思っていれば、かつての日本もそう思っていたわけで、その文化を失うことはなかったと思うわけだ。
たまたまそれに関連する記事を見つけた。なぜ日本の田舎に若い女性がいないかという記事だ。
もちろん記事がいうように、仕事の面はあるが、田舎にある独特の”付き合い”に馴染めなくなっているという側面もあるのだと思っている。都会は楽しい場所もたくさんある上に、隣近所の人を知らなくても生きていける。物事には常に両面がある。良いとこどりなどできないのだ。
フィリピンの結婚式 ②ガーターベルト http://yoshi-jpn.com/1859/
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