台風ヨランダ レイテ島のある女性の話

台風ヨランダ レイテ島のある女性の話

あの台風から2か月。残念ながら、私の中ではすでに風化しつつあったあの台風被害。

 

写真は当時の写真で、現在は、大木の上部の部分は切断されていますが、根元の部分はそのまま放置されています。

 

そうした中で、あの日レイテ島にいたフィリピン人の女性の話をたまたま聞きました。その女性は、現在セブ市内に移り住んでいるよう。

 

当日。彼女の旦那さんは船乗りのため、韓国へ向かう船の中。午後4時。旦那さんが台風の接近を心配して電話してきたが、街は全く穏やかであったため、そのことを伝えたという。

 

しかし午後10時。家を襲った想像を超える風。彼女の家は3階建てで、家族を含めた15人全員が3階部分に集まった。ドア付近では立つことすらできず、1階部分と2階部分はほぼ壊滅したそう。そして1階建てであった隣の家は、屋根がそのまま持ち上がり、吹き飛ばされてしまった。それを見て、その場にいた全員が「今日が人生最後の日」と頭をよぎったそうです。

 

そして日が変わると、街では略奪の騒ぎが起こりはじめ、その中で1つのショッキングなニュースを彼女は聞いたそうです。

 

6人で暮らすある家族の家に、4人の男性が食料を分けてほしいと訪ねてきた。その家族はその4人に食べ物を分け与えた。すると4人は更に金銭も要求してきた。ただ手元にお金はなく、また銀行も開いていなかったので、家族がそれを伝えた所、その4人の男性は、子供も含めた6人全員を殺害してしまったというもの。

 

彼女の家は、その地域では裕福な家であったため、彼女の家は食べ物がなくて困っている人々に食べ物を提供していました。ただその食べ物は誰が提供しているかは知られない形で提供されており、その殺害の話を聞いた後は、もし地域の人々に、その食べ物を提供しているのが自分たちだと突き止められたら、自分たちの家が襲われ、自分たちも殺されるかもしれないと恐怖を感じたそう。それで飛行機のチケットをとり、すぐさまセブ島に移ったとのことでした。

 

そして彼女いわく、街の人口の半分が流されてしまった、つまり死んでしまったと。そして残りの半分は、自分たちと同じようにマニラやセブなど他の土地に移り住み、残り25%の人々が現地に残っていたが、今ではどうなっているのかわからないという話でした。

 

この話を聞き、少しこれまでの記事を見てみました。以下の記事によると、やはり復興はまだまだかかるよう。

 

2013・12・9 日刊マニラ新聞さん 台風上陸から1カ月。タクロバン市で追悼ミサ開く。ほど遠い生活再建。復興の兆しも http://www.manila-shimbun.com/category/nature/news210592.html

2013・12・19 日刊マニラ新聞さん タクロバン市で露店の営業が再開。電気なく、冷蔵・冷却用の氷の売り上げが増
http://www.manila-shimbun.com/category/nature/news210726.html

 

おそらく復興には10年はかかるのではないかとのこと。多くの日本人の方も復興のための支援に関わっているようです。

 

2014・1・8 東京新聞 地元に寄り添い復興支援 日本NPO、比レイテ島で奮闘

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014010802000231.html

 

そうした支援も含め、働くこの国に何を還元できるかもとても大事だと感じます。

 

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