時代の狭間に落ち込む世代

時代の狭間に落ち込む世代

英語の必修化が日本でも議論をされており、文部科学省の「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」も発表されました。

 

英語授業、中学校も英語で実施へ 教員は「英検準一級」以上
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/12/english_n_4437125.html

 

ポイントは以下のようです。
・中学での英語の授業を英語で教える
・小学生も3年で習い始め、5年生から必修科目
・学校の教員のレベルは、「英検準1級、TOEFL iBT 80点程度等以上を求める」とし、各教員のレベルは公表。

 

実施は2018年から段階的に導入し、2020年から本格実施。2020年の東京オリンピックを見据えて、としています。これは建前ですよね、どう考えても間に合わないので。。。

 

そして多くの日本人の方の反応は、

・まずは英語より日本語での学習が必須
・急に中学で、英語だけで英語を教わっても、落ちこぼれる人が大量に出るだけ
・これだけの授業時間では結局英語は身につかない
・教えられる人材がいない

などです。そしてその多くが、「授業を受ける世代」について議論されています。

 

もちろん、私もこの議論そのものに意見もありますが、今回私が注目するのは、この世代から漏れてしまう世代です。つまり2017年までに中学校を卒業する世代(もしくは2019年まで)です。もし導入する場合、この政策の溝に落ち込む世代をどうするのかという議論はあまりなされていないように思います。

 

本来は、政策の実施を早め、段階的な導入を「特区」のような形で今すぐ実施し、この溝に落ち込む世代を少しでも減らすべきだと思いますが、そういったことは考えられていないような気がします。

 

私達の世代はいわゆる「ロストジェネレーション」。大学卒業当時に、日本経済が不況のど真ん中で、就職難に出くわした世代。

また現在、社会に出てきている世代は、いわゆる「ゆとり世代」。

そして今度は英語に関して時代の狭間に落ち込む世代が出てくるのかもしれません。

 

英語を喋ることは日本人全員に必須な能力ではありません。ただし生きていく力、もしくは職業スキルは子供たちにとって必須です。その中で、公教育の現場で、英語を導入するのであれば、なんらかのビジョンが必要だと感じます。

 

子供たちが直面するだろう将来像を描き、その中で英語をどのように位置づけ、どうした教育を行うのか、また、他の教育体制の可能性を探ることなく、現在のような全国一律の教育システムを維持するのであれば、授業についていけない子供とともに、政策の溝に落ち込む世代へのケアをどうするのかも議論の必要があるのではないかと思っています。

 

何かの政策を実施すれば、必ずそこに”漏れる”人々が生じるのは避けられませんが、その漏れる人々に対して、次の政策、その後のケアは考えられて実施されるべきだと感じます。そうしないと、政策のミスが「自己責任」にすり替わってしまうと思うのです。

 

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