フィリピンのThe Department of Social Welfare and Development(DSWD)が、フィリピンのストリートチルドレンによる歌での物乞い行為を取り締まるよう働きかけていることがニュースになっていました。
「DSWD pushes for metro-wide ban on street caroling」
狙いは子供たちの間で物乞いを減らすこと。歌を歌い物乞いをする子供はすぐに掴まえられ、これを破った人は罰金が科されるとのことです。もうクリスマスシーズンですからね。
結構おっきい兄ちゃんも、同じことしているしな。。。
フィリピンに滞在し、一番最初に思ったことが、多くのフィリピン人が、ストリートチルドレンに全く関心がないなと思ったこと。私自身は、日本でもホームレスの支援などもしていたこともあり、関心が高かったのですが、現地の多くの人はほぼ関心がありませんでした。
その理由は
- 与えたお金がドラッグに変わるだけ
- 自分たちで精一杯
- 存在が全く別物
が挙げられるのかなと私は思います。
まず1については、当時の私の英語講師の話。
ストリートチルドレンたちは、周りにいる悪い大人たちに、ドラッグを使うと、満腹感を得られるということを教えられているということ。そのため、彼らはお金を手にいれると、すぐにドラッグを買います。これを聞いたため、私はフィリピンではどんなにせがまれてもお金を与えないと決めました。それが正しいかはいまだに答えが出ませんが。知り合いのフィリピン人たちは、お金の代わりに、食べ物を渡していると話していました。
2については、別の英語講師の話。その講師に私はボランティアの施設を紹介してもらいました(ブログ「子供たちの笑顔の裏に ① ものわかりの良さ」http://yoshi-jpn.com/1236/)。
彼女は子供がおり、当時私に「なんでストリートチルドレンになんか興味があるの?」と言い放ち、その言葉に衝撃を受けました。そして私は逆に彼女に「なんであなたは興味がないの?」と尋ねたところ、「自分の家族を養うのが大変なのに。そんなお金があったら、少しでも良いものを子供に買ってあげたい」と。ごもっともだと思いました。今は4年前よりフィリピンの状況は好転しているように感じますが、それでもまだまだ生活が大変な家庭はたくさんありますからね。
そして最後の3は、いわゆる別の存在。
日本人に生まれると、もちろんいろんな格差はあれど、「人は等しくチャンスがある」と考えることができます。でもフィリピンの場合、お金持ちの家庭で生まれるか、貧しい家庭で生まれるかは、全く違います。立場も全く違うわけですね。まさに「違う存在」としてそこにいるので、もう眼中に入らないということです。
日本の状況を見ても、物乞いが世界からなくなるとは思いません。ただ今回の政策のように物乞いを減らすことよりも、物乞いをしなくてもいいような状況が広がればいいなと感じます。多くの子供は他に手がないわけですからね(ブログ「フィリピンで考える「児童労働禁止」 ①」http://yoshi-jpn.com/1168/)。
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