知り合いのフィリピン人の旦那さん(アメリカ人)がイラクに行くために手続きをしている。軍事に従事することを考えているらしい。
理由はお金。
かつて大学院時代に政治を学んでいたので構造はわかる。
アメリカは国家予算の約6%が軍事関連予算。毎年それだけの予算をつけるには、それ相応の理由がいる。だから定期的に戦争が必要なのがアメリカという国。製造した武器を使わなければ、予算は減るわけだ。そしてアメリカの貧困層で、大学に行きたい人たちを、軍人として数年勤務させ、代わりに奨学金を出す。
学生時代に思ったことは、教育を受ける可能性がゼロでなくなるこうした施策は、アリだと思った。今でもそう思う。
でもCNNでイラクの戦場からリポーターが生の映像を届け、女性も含め、アメリカの兵士が銃撃戦を展開している映像を見ると、知りあいの旦那がそこに行くことを、単純に「絶対的に」アリだとは思えなくなる。当事者意識として迫ってくる。
ニュースの話題にならなくとも、紛争・戦争は続いている。そしてイラクに行きたい人と、イラクから帰りたい軍人がいるが、そこには長い手続きが横たわっているようだ。今帰りたいから帰る、行きたい人がいるからすぐに交代ということにはならないわけだ。彼らはすでに決断している。
これがリアルな世界の現場。
ある程度年齢がいったアメリカ人が職を見つけるのは、大変なのだろう。これは対岸の火ではない。日本も同じだ。
こうした話に合わせ、フィリピン人たちの生活を身近に見ながら、いつも「生きる」を感じている。生きるとは、「今、ココ」の話なのだ、と。
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