現在何もないところからサービスを生み出していっています。当たり前ですが、そんなにずーっと何かを生み出し続けることなどできるわけがないわけです(笑) 生みの苦しみ、という奴ですね。
こうした状況の中で、ほんとに記者という仕事が活きていると思うので、そのことをつらつら書きたいと思います。
写真は、マレーシアでとった空です。生みの苦しみのときとは真逆の、気持ちいい感じですね。
似たような出来事を書くことはあっても、記者は1本として、同じ記事を書くことはありません。編集者としての仕事であった「見出し」もそうです。1つの見出しを何十分も考えてつけます。それでもより良いものがないか、時間の限り踏ん張ったものです。
これも編集の仕事をして3年目の状態です。1年目はほんとにひどく、多くの上司に怒られ続けました。ある上司が「お前、よく出社できるな」といったほど。多くの上司になぜこんなに私に厳しいのか聞くと、「お前は強く言っても大丈夫だから」とのことでした。大丈夫ちゃうわい(笑) また「誰も相手にしてくれんようになったら終わりやぞ」とも。確かに。
その中で、元来の完璧主義は緩和しました。そう。毎日結果を出さなければならなかったからです。
結局準備をたくさんしたところで、原稿を書かなければ、それはゼロです。見出しもそう。何十分、何時間考えようが思いつかなければゼロです。そしてそれが毎日毎日でした。入社して最初の研修である上司に言われました。「『頑張る』とか意味ないから。結果だけ出せ」と。今考えると確かにわかるのですが、私の意見では、新入社員への言葉としては間違っていると思います(笑)
ただこれは真だとも思います。例えば、「明日から頑張る」とか、目標とか、結局やらないと意味ないですもんね。やるかやらないかです。この間には、ものすごーーーーーーい壁がありますから。
とにかく毎日必ず何かを前進させる。もちろんすごく順調な日もあれば、何も出ない日もある。ただ「何もない」なんていうのは許されない。その時には、とにかく動く。足で稼ぐ。出るまで動く。それが小さいかは問題ではない。それがプロというやつです。
ただ完璧への思いはずっとあるので、それを現実の実行レベルに合わせる必要があるということ。そして余裕があれば、より高みを目指せばよい。
また一方で、スパっと思考を諦める。そして単純作業を膨大にこなす。何も生まないなら、さっと切り替えて、こなさねばならぬ量をこなす。可能であれば、生みの苦しみの時間を捻出できるよう、より多くの量を終わらせる。
この2つの切り替えが、どんな仕事でも結果を出すには大事ではないかと思うのです。
現在私がしているのも、まさにこんなことだと思います。毎日生みの苦しみを味わいつつ、少しずつでも前進するようもがいています。そんな中で、こんな前職の上司の言葉を思い出しましたので、シェアします。
「生みの苦しみはしんどいだろ。だから後回しにするな。早め早めに苦しむようにしろ。やがて今よりは楽に生み出せるようになる」
ランキングのご協力に、ぜひクリックをお願いいたします_(._.)_