“アメリカンドリーム”という個人に向けられた言葉を、日本は”国”として受け取った。
「アメリカのような国になるのだ!」と。
そして世界一の経済大国になり、一億総中流という奇跡に近い状態を実現した。多くの人が学校に通え、食べ物や服がなくて困るという状況も、他の国と比べると、圧倒的に少なかった。個人ではなく、国として。これが日本の凄いところだった。
しかしバブルがはじけ、長い不況に入り、若い人にとって、明るい未来が描きづらくなった。
なぜか。
すでに多くのものが手に入り過ぎたのだ。そうした状況から起こるのは、失うことへの不安。いくら悪いといわれても、日本人の平均賃金はとても高い。フィリピンにいると、まーそれはほんと感じる。厳しい仕事を強いられるかわりに、誰でもある一定の生活ができるのだ。
ただかつての“アメリカンドリーム”を、国として実現してきた日本人。でもどこかお金と結びつくその価値観を、若い世代は”バブルの象徴”として過去の価値として否定してきたのだと思う。その後出てきた流れが、個人の成り上がりではなく、社会に還元するという意味でのソーシャルな流れ、社会起業家、プロボノ、ボランティア。
これは成熟した先進国の一つの進む道なのかもしれない。ただソーシャルなものに人を熱狂させる力はない。静かに、緩やかに、力を失っていくように思う。
ただ新たな”アメリカンドリーム”が起こっている。それはかつての”日本”国としてではなく、個人として、また日本国内ではなく、アフリカやアジアなどで。そういう時代に入っていると思うのだ。そしてそれはかつてのように、利益を国で享受する形ではないスタイルのため、弱肉強食のグローバルな競争が日本国内にも迫っているのだと思う。
でもソーシャルな考えに強く影響を受けている新しい若い世代の世界での挑戦は、他国のそれとは一線を画す可能性があるとも感じている。
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