五輪という舞台

五輪という舞台

ソチ五輪で、フィギュアの羽生結弦選手が金メダルをとったようですね。おめでとうございます!

 

日の丸を持って笑顔を見せる羽生結弦=14日、ロシア・ソチのアイスベルク・パレス(撮影・大里直也)
http://www.sanspo.com/sochi2014/photos/20140215/soc14021504570007-p1.html

 

ただ五輪になると、どうしてもこうしたメダルの数・獲得に注目が集まってしまいますよね。それで賛否両論になったのが以下の発言になるかと思います。

 

【オリンピック】「負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」 竹田恒泰氏の五輪選手への「注文」が賛否両論 http://blog.livedoor.jp/newsokusaisoku/archives/37043712.html

 

そうしたことを踏まえてか、帰国した17歳の高梨選手のコメントが以下です。

 

申し訳ない気持ちでいっぱい…高梨沙羅選手帰国
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2014/ski/20140214-OYT1T01097.htm

 

私の気持ちはこう。なんか悲しくないですか。スポーツって、メダルと同義なぐらい、スケールの小さいものでしょうか。

 

少なくとも、オリンピックが始まるなんていう雰囲気は多くの人にはなかったのではないでしょうか。私は開会式で、初めて気づいたものです。それとは反対に、選手は毎日毎日練習して、世界の舞台で競っています。そして私たちが思う何倍もの重圧で、ご本人たちは、あの舞台にたっているのではないでしょうか。それを物凄く実感させてくれたのが以下の、荻原次晴さんの映像です。

 

【ソチ五輪】 荻原次晴、号泣。 渡部暁斗 銀メダルおめでとう
http://www.youtube.com/watch?v=1IT8SeHgbm4

 

自分のための涙ではないでしょう。ノルディック複合の代表として頑張ってきた人の涙です。ぐっときました。ちなみにフィリピン人たちには全く理解できないようです(笑)

 

よくスポーツ選手の失敗を、鬼の首でも取ったかのように批判をする人がいますが、少なくとも世界のトップクラスでやっている人は、そんなことを外野に言われるまでもなく自覚しているのではないでしょうか。そして努力して立てた舞台を楽しむのは間違っているのでしょうか。

 

そしてフィリピンからは、今回、22年ぶりに冬季オリンピックに17歳の男性が出場しました。マイケル・クリスチャン・マルティネス(Michael Christian Martinez)選手。フィリピンだけでなく、東南アジアからの初のフィギュアスケート選手らしいです。

 

Michael Martinez makes history at Sochi Olympics
http://www.abs-cbnnews.com/sports/02/14/14/michael-martinez-makes-history-sochi-olympics

 

彼の演技は素晴らしいので、適切な表現かはわからないですが、これを見たとき、私が学生だったときに、アフリカの水泳選手が、最後まで泳ぎ切ったことに拍手が起こった映像を思い出します。彼らが、その後に続く人たちに、どれだけの希望と勇気を与えるか点に、共通点を感じました。

 

結果として、メダルの瞬間は、私たちの記憶に残っています。ただしそれはあくまでも結果としてではないでしょうか。きっと思い出せる映像が、皆さん1人1人の中にあるはず。数えたらキリがないですよね。

 

彼らの躍動・感動は、まさにある時代の、ある一瞬を切り取って、私たちの記憶に残り続けるのだと思います。そんな感動を共有してくれる選手の方々には、ただただ感謝の思いが湧き上がります。更なる活躍を応援しています!

 

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