一夜明けて、余震も落ち着いているかと思います。今日は、ほとんどの人が地震疲れになっているのではないかと思います。特に地震になれないフィリピン人は、余震のたびに、建物の中に入ったり出たりするか、ずっと建物の外にいるか、でしたので。私も気疲れで、かなり疲れていますね。
セブ島の隣、ボホール島で昨日起こった地震の揺れは、とても大きく感じました。1年半前にも大きな地震がセブ島付近でありましたが、日本人の私にとっては、あの時は大騒ぎをするような類のものではなかったのですが、昨日は「阪神大震災のときぐらい」だと感じました。
私は阪神大震災が起こったとき、地元の徳島県に住んでいました。震源地の淡路島はほんとにすぐ近くでした。記憶では震度4強ぐらいだったように思います。当時中学生であった私は、たまたまその日が、学校の冬休み明けのテストの日で、私は早朝から起きて、まさにテスト勉強をしているところでした。これ、ほんとにたまたまです(笑)
あの時の地震の驚きは忘れられません。人生初めての大きな地震だったため、何が起こっているのか全く理解できず、一歩も動けなかったのです。その時に父が飛び起きてきて、玄関のドアとベランダの窓を開けていました。へー、そう対応するんだーと思ったものです。弟と妹は爆睡していましたが(笑) 記者をしていたときの同期の一人は神戸出身で、父親が覆いかぶさり、守ってくれたと話していました。
現在冷静になってみると、今はアパート4階建ての4階に住んでいて、フィリピンの建物は、日本のような耐震構造がきちんとした建物ではありません。ほとんど地震の起こらないフィリピンだとそうなりますよね。なので、余震でさえ結構揺れます。
ただフィリピン周辺には、フィリピン海プレートという大きなプレートがあり、このプレートは日本周辺の地震発生にも強い影響を与えています。なので、フィリピンが地震の起こらない国というのは、本来間違いです。そしてこのことはフィリピン人も知っています。じゃ、なんで(笑)
そして昨日を振り返ってみて改めて思ったことは、建物って大事だなということです。
私たちが最初の地震に対してできることは、何もないなと思ったからです。基本的には、地震が起こった際、私たちにできることは以下だと思います。
入り口のドア、ベランダの窓を開けること
ガスの元栓を閉めること
電気の電源を落とすこと
そして最初の地震がおさまり、次の大きな余震があるまでに、必要最低限の所持品を持ち、なるべく早く建物の外に出るということです。
ただこれらは2次的な被害を避けるための行動であり、最初の地震から身を守るためのものではありません。私たちは最初の地震に対しては、建物をある程度地震に対応できるものにする以外何もできないのではと感じました。
オーストラリアの語学学校に通っていたとき、講師の一人がオーストラリアの大学院で日本の建築技術を学んでいました。日本の建築技術は、対地震に関してとても優れており、オーストラリアではそうした建物がほとんどないため、とのことでした。ただ当時不運にも、ニュージーランドで大地震が起こり、多くの人が亡くなったのですが。
なので、地震に関する日本の建築技術は、もっと世界に広く知られても良いのに、もっと世界に広がればよいのに、と思います。
昨日は、かなり小さいですが、余震が続き、その度に建物が揺れ、決して気持ち良いものではありませんでした。人生で初めて、余震ってかなり気持ち悪いなーと噛みしめています。どれが大きな揺れか、そしていつ来るのかがわからないので、それを気にしながら生活するのって、すごくしんどいです。そんなことを、フィリピンでの地震を経験しながら、思っています。
写真は、築2年の私のアパートの壁です。かなりわずかですが、亀裂も入っています。
なので、日本の若い建築家さん、誰かこの分野でマネタイズをして、世界で勝負してくれないかなと。「社会のために」なんていうより、よほど社会のためになる気がします。
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